名古屋市名東区にある個別教授、個別指導塾

2024年07月27日

入院始末記③ 三度目の正直。



一時間程度の仮眠は取れたのであろうか。朦朧としながらも近所の耳鼻科に朝一番で受診できるように準備をしていた。
「朝一番の生徒さんをキャンセルすればあとは何とかなるかな」なんて考えながら洗面所に立っているとあの感覚が・・・

再び出血していた。しかも、やっぱり自身では止血出来ない。
H病院に行くべきか近所の耳鼻科に行くべきか迷ったが、近所の耳鼻科が「とりあえずウチで診てみます」と言ってくれたので近所の耳鼻科に急行!


近所の耳鼻科は大半がコロナ患者だった。「コロナ陽性でしたね」という言葉を10回位は聞いた気がする。コロナが再び流行っていることを実感できた。
そんな中、合間を縫って先生はガーゼによる止血を試みてくれた。
一定の処置が終わり、待機をしているとまた大量出血。
「これはウチではダメだ。多分、入院になると思う。紹介状を書くからH病院に急行して下さい。」と言われ、結局再びH病院に行くこととなった。


H病院では近所の耳鼻科同様にガーゼによる止血が行われた。三回目のガーゼ挿入となると、あのいや~な感覚にも慣れてしまう。
処置が終わった後担当医から「一応出血は止まったので自宅に帰って下さい」と言われた。
入院覚悟で来たので正直拍子抜けしたが 「これなら夕方からの授業は出来そうかな」 「お昼ご飯は今日までの期限のお蕎麦にしよう」 などと皮算用をしながら妻の運転の元、自宅へと帰ることになった。


自宅に戻り、やっと一服と冷たい麦茶を飲んだ瞬間・・・・
あの感覚。やっぱり出血。しかも帰宅から5分も経っていないのに!
何かがプチンと切れてしまいボーっとしていると妻が「さぁ、入院だ。行くよ!」と促してくれ私は三度目のH病院に向かうこととなった。


H病院の救急に到着した私が一日の経緯を話すと、すぐに耳鼻科に連絡を取ってくれて私は耳鼻科で受診することになった。
診察室で診てくれた先生が「流石に4回目の受診をさせる訳にはいかない。 しばらく入院して経過を診させてください。」と仰った。
ここで、私の人生初の入院が決定することとなった。